一日一絵

公園に住む猫の健康を願いつつ、重ねる一日一日の記録。

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一人になるということ。


いまだにスマホを持たない私、ガラケーさえも使いこなせず、
メールボックスには迷惑メールが貯まり、受信不可になるほどで、
常日頃はガラケーの電源も切っています。
久しぶりに電源を入れると、8月28日の日付で着信メールがありました。
それは、私がずっとお世話になっているパソコンの業者の息子さんからでした。

元SEプログラマーで、個人でプログラムやソフトの管理、
困りごと解決をしてくれる会社を立ち上げた業者とは、
2008年にパソコンが壊れた時、修理してもらってからのお付き合いです。
その後も、何か異常があるたびに、それこそ深夜や休日でも電話をすれば、
時間をおかずに無償で対応してくれました。
あまりにお金を使わないので申し訳なくて、時々パンが入った時、
おすそ分けをすると、お返しにと家庭菜園の野菜をくださったりしました。

今使っているパソコンも、その人に選んでもらった機種で、
初期設定やハードディスクのバックアップも全部してもらいました。
その人がいるから安心して使えたし、ずっと頼り切っていました。

今年に入ってまもなく、実は闘病で入退院している、とお聞きして、
時々メールを送ってはいましたが、返信はなく、
やがて固定電話も通じなくなりました。
先日、パソコンの調子が悪くなったので携帯の方に留守電を入れました。
それを聞いての、息子さんからの返信メールでした。
折り返し電話をして、5月末に亡くなったと知りました。
最後にメールをもらった日から、まもなくのことだったようです。

メールには、書いてあった病名と、書かれてなかった病名とがあり、
治療中は、助手の○○君が対応するから・・・と、
書き添えてはありましたが、
当人自身が、機材を病室に持ち込んで、もっと長い闘病生活になる
つもりでいたので、引継ぎも途中での旅立ちだったそうです。
まさか3カ月も前に亡くなっていたとは。

父一人子一人の家庭だったと言います。
一軒家に住んでいたけれど、息子さん一人で住むのも寂しいし、
主の亡くなった菜園はみるみる荒れていき、それを見るのもつらく、
引っ越して今は更地になりました。
成人したとはいえ、たった一人子供を残していくのは、
心配で残念なことだったでしょう。
残された方にしても、帰る場所をなくし、
思い出話に相槌を打ってくれる人が誰もいなくなり、
たった一人で生きていかねばならないのは、
どんなにか心細いことでしょう。

そういえば、他にもそんな境遇の女性がいたのを思い出しました。
その人は、名古屋出身で、実家に親と同居していたけれど両親をなくし、
姉妹はいるけれどすでに家を出て家庭を持っているし、
一人ぼっちで思い出の残る家に住み続けるのは寂しいし、
リーマンショック以後、名古屋は本当に仕事がなくなったので、
実家を売り払って、仕事のある福岡に移ってきたと話していました。

思い出話ができる人が一人もいなくなるというのは、
私にとっては、単に寂しいとか情緒的な気持ちに止まらず、
自分の存在の基本を揺るがす事態のように思います。
人は、共通の記憶を持つ人と、お互いに記憶を確認しあうことで、
自分の存在を、再確認できるからです。
実家がなくなることの心細さ、反対に、
実家に家族が増えて、にぎやかな声に包まれ、
多くの人に記憶してもらえることの幸せを考えました。
・・・そうだよな、だから、皆、結婚して、家族をつくろうとするんだな。

私の周りには、似たような境遇の人が何人かいます。
配偶者がいても、子供を持たない人も・・・
家族を作れなかった私たちは、ただ消えていくしかない。
何を残していけるだろうか。
生きた証を残せるんだろうか。
むしろそんなものは残さずに、跡形もなく消える方がいいとも思う。
どうか忘れてください、という恥ずかしい過去が多々ありすぎる。
けれど残すものがこのキタナイ部屋だけだとしたらむなしすぎる。

自分を覚えておいてほしいわけじゃないのです。
世の中には、私の知らない物語が星の数ほど存在します。
知ることができたのは、そのうちのほんのわずかな、
小さな人や出来事の、一瞬の短い物語でしょう。
それでも、それがあまりにうつくしすぎるから、
誰にも知られずにただ消えていくのが惜しくてならないのです。
誰かの記憶に残ってほしいのは、
今は存在しなくても、一時は確かに存在した、
心に残る物語なのです。

山田さんにも、あの名古屋の女性にも、
記憶の中にそんな物語があるはずです。
誰もが物語の主人公であり、語り手であるのです。
今回亡くなった業者は、どんな物語を持っていたでしょうか。
あまり多くを語らずに
特に、告知を受けた後に会った時は、話したいこともあったかもしれないのに。
物語の記憶の片方を息子さん一人に負わせて、いってしまいました。

本当に残念だし悲しい報せでありましたし、
私も、もっともっと暮らし方を考えて、変わらねばならないと
あれからずっと思っています。
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11月9日 新作出品。
ヤフーオークションに
出品中の作品のご紹介です。
売り上げは、嫌ですが結局猫に
分捕られます。たぶん。

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公園猫のご紹介


1 山田おかあさん。
勝気で頭も運動神経も良いスーパーな美猫。
たくさんの子供を産みました。



2 山田あかちゃん。
おかあさんの最後の子供。
幼児体形の女子。



3 隣のおかあさん。
元は隣にあったおうちの飼い猫。
山田おかあさんと同じく、たくさん子供を産みました。
隣の猫たち全部の母では?



4 隣のハーブ。
レモンとはたぶん姉妹。顔半分黒いのでハーブ。
非常に顔立ちの綺麗な猫。超気が強く頭もよい。
2010年、やっとなついてくれました。
★2010年6月、
財団法人どうぶつ基金の助成を受け、
不妊手術を行いました。



5 隣のサビにゃん。隣の(元)おうちの猫。
レモンとハーブとはたぶん姉妹。
子供みたいに小柄であどけないが、何度も出産経験あり。
いつも皆から一歩遅れる。


6 山田番長

2010年10月末、現れた子猫。
ビビについてきたと思われる。
超よわい番長。


・・・・・行方不明になってしまった猫たち。・・・・・

今でも待っています。
優しい人に助けられ守られ、
無事に再会できることを 心から願っています。

山田マルコ。
いつのまにか公園に居ついた、
愛らしいうさぎのような子でしたが、
2010年12月18日、姿を消しました。



山田ビビ。おかあさんの息子。
美しいオスの白猫で、公園になくてはならない
存在でしたが、
2010年10月末、姿を消しました。



隣のダンボ。隣の(元)おうちの猫。
時間がかかったが、とてもなついてくれました。
体格のよい元気なオス猫だったが、
きょうだいの白茶と同じと思われる病状で、
ひどく弱ったところをビビに追われて、
2010年7月末、姿を消しました。

幸坊。
ビビと隣のサビにゃんの子5きょうだいの1匹。
一番元気で体格も良いので公園に戻し、
すくすく 育っていましたが、
2010年2月8日、突然姿を消しました。

橋の猫。
2007年ごろ現れ、しばらく山田さんちに居候の後、
橋の下に居場所を移動。
皆にかわいがられていた人懐こい子。


流れの黒。こわもて。
他所から来て居ついた猫。時々行方不明になりつつ、
ビビとボスの座を争っていました。


隣の青太。隣の(元)おうちの猫。
青い目が印象的なオス。体格は良いが、痩せてきた。
くいしんぼうでびびり。いまだになついてない。
2010年1月8日ごろ、姿を消しました。


隣のレモン。隣の(元)おうちの猫。
顔は怖いが、鳴き声かわいく、ひとなつこい。
レモン色の瞳のサビ猫。
2009年11月中旬ごろ、姿を消しました。

・・・・・・・・・・旅立ってしまった猫たち。・・・・・・・

山田すずまる
2009年12月5日ごろ現れる。
木登りが大好きな小さな男の子で、
何かの感染症のため体調を崩しながら
一生懸命生きましたが、
2010年11月18日AM4:23旅立ちました。



隣の白茶。
ダンボと双子のようにそっくりな、たぶん兄弟。
慢性的な体調の悪化に長く苦しみながら がんばって生きたが、2009,2月12日旅立ちました。



隣の緑。隣の(元)おうちの猫。
猫丸みみたが公園に通うきっかけとなった猫。
慢性的な体調の悪化に長く苦しみながら がんばって生きたが、2008,8月27日旅立ちました。


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